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東京地方裁判所 平成8年(行ウ)23号 判決

東京都千代田区二番町五番地五

原告

諸享

東京都千代田区九段南一丁目一番一五号

被告

麹町税務署長 鈴木宏昌

右指定代理人

浜秀樹

田部井敏雄

庄子衛

南幸四郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告が平成六年四月二七日付けでした原告の平成四年一〇月三〇日相続開始に係る相続税の更正のうち課税価格八億四六〇六万二〇〇〇円、相続税額四億六五六七万四三〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定を取り消す。

第二事案の概要等

一  本件は、被相続人の死亡によって、その所有に係る東京都千代田区二番町五番五所在の宅地(面積四六二・二一平方メートル、以下「本件宅地」という。)を含む財産等を共同相続した原告が、不動産鑑定士の鑑定評価に基づいて本件宅地の時価を算定して相続税の申告をしたところ、被告から、本件宅地の時価の算定はいわゆる路線価方式によるべきであるとして、平成六年四月二七日付けで相続税の更正(以下「本件更正」という。)及び過少申告加算税の賦課決定(以下「本件決定」といい、本件更正と併せて「本件処分」という。)を受けたため、本件処分の取消しを求めて出訴した事案である。

二  当事者間に争いのない事実等(なお、書証によって認定した事実については、適宜書証番号を掲記する。)

1  相続の発生

諸恵之助(以下「恵之助」という。)は、平成四年一〇月三〇日に死亡し、同人を原告、諸米子及び向美鈴が共同して相続(以下「本件相続」という。)した。

原告らが本件相続によって取得した相続財産債務の区分は、別表2の符号〈1〉ないし〈7〉並びに同〈9〉及び〈10〉各記載のとおりであり、右財産債務のうち符号〈1〉(本件宅地)以外のものに係る各符号ごとの合計額は、別表2に各記載のとおりである。

2  本件宅地は、日本テレビ通りに面し、かつ、営団地下鉄有楽町線麹町駅の出入口である「麹町駅プラザ」ビルに隣接し、間口距離が約一四メートル、奥行距離が約三二メートルのほぼ長方形の地形であり、その容積率は、正面道路から三〇メートルまでが六〇〇パーセント、三〇メートル以遠は四〇〇パーセントである。

また、本件宅地上には、恵之助が所有していた家屋(家屋番号五番五の一、床面積八〇七・八二メートル、室数一八室)が所在していたが、うち二室は恵之助が自己の居住用として使用し、残りの一六室は株式会社オズインターナショナル等に対し事務所用として貸し付けられていた。

なお、本件宅地周辺の位置図は、別紙のとおりである。(乙一号証)

3  課税処分等の経緯

原告の本件相続に係る相続税の申告とこれに対する課税処分等の経緯は、別表1記載のとおりである。

4  本件相続に係る相続税の課税価格の内訳等

(一) 被告は、本件宅地の価額につき、国税庁長官が各国税局長あてに発した「財産評価基本通達」(昭和三九年四月二五日付け直資五六、直審(資)一七国税庁長官通達(平成五年六月二三日付け課評二-七・課資二-一五六による改正前のもの)、以下「評価通達」という。)及び毎年各国税局長が定める相続税財産評価基準(以下「評価基準」という。)等に定められている評価方法(以下「路線価方式」という。)に基づいて評価すべきであるとする。具体的には、別表3の1及び同3の2記載の計算過程(右過程において小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例に係る平成六年法律第二二号による改正前の租税特別措置法六九条の三の規定を適用しており、その詳細は別表4記載のとおりである。)により、本件宅地の課税価格は別表2の符号〈1〉記載のとおりとなるから、原告らに対する課税価格の総額は同表の符号〈13〉記載のとおりとなる旨主張する。

そして、被告は、原告が納付すべき税額については、別表5記載の税額算出表記載の計算過程により、同表の符号〈10〉「納付すべき相続税額」記載のとおりとなり、原告に課されるべき過少申告加算税額については、本件更正により原告が新たに納付すべき税額一億三七三一万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数を切り捨てた後のもの)に一〇〇分の一〇を乗じた金額である一三七三万一〇〇〇円となる旨主張する。

(二) 原告は、本件宅地は、いわゆるバブル崩壊後地価の著しい下落が認められる地域に所在するから、路線価方式に基づく評価額ではその時価を上回ることになる旨主張する。具体的には、原告の依頼した高橋久長不動産鑑定士による不動産鑑定評価(以下「原告鑑定」という。)に基づく本件宅地の一平方メートル当たりの鑑定評価額八三三万三〇〇〇円が本件宅地の自用地としての価額(別表3の1の「本件宅地の1m2当たりの価額」に対応する。)となるため、原告に対する課税価格及び納付すべき税額は、別表1の平成六年二月二八日付け更正欄記載のとおりとなる旨主張する。

5  原告鑑定の概要

原告鑑定の概要は、以下のとおりである。(甲三号証)

(一) 鑑定評価の条件及び価格時点

本件宅地を更地として、合理的な市場において成立すべき客観的適正価格(正常価格)を求める。

価格時点は、平成四年一〇月三〇日(本件相続の開始時)である。

(二) 近隣地域(本件宅地をほぼ中心として、南北方向約二〇〇メートルにわたる日本テレビ通り沿いの範囲)の状況等

同地域は、幹線道路である新宿通りから分岐しJR市ヶ谷駅方面に伸びる日本テレビ通り沿いの商業地域で中層あるいは中高層の事務所ビルが連担しているが、純然たるオフィス街区であるため周辺の商業地と比較すれば繁華性は少ない。

平成二年から三年ころを境にして急速に取引市場における需要が減退し、周辺都基準地における過去一年間での地価の下落率一七ないし一八パーセントを超える率での地価の下落傾向は当分の間持続するものと思料される。

公法上の規制のうち、容積率については前記2記載のとおりであり、建ぺい率については正面道路から三〇メートルまでが八〇パーセント、三〇メートル以遠が六〇パーセントである。

なお、本件宅地に係る土地使用については、中高層事務所ビルが最有効使用と考えられる。

(三) 取引事例比較法の適用

標準画地につき、間口一五メートル・奥行三〇メートルの長方形、北東側において一五メートル区道に接する一方路、道路と等高で平坦な商業・防火区域とし、取引事例に基づいて比準した価格は一平方メートル当たり七六四万八〇〇〇円から九六四万九〇〇〇円とかなりの開差をもって求められたが、いずれも精度が高いものと判断されることから、そのほぼ中庸値である一平方メートル当たり八九三万円を採用し、本件宅地と右標準画地との間に修正要素はないものとして、右金額をもって本件宅地の比準価格とした。

(四) 収益還元法の適用

収益価格は一平方メートル当たり六九四万一〇〇〇円と求められた。

(五) 地価公示地千代田5-15(千代田区二番町三番四、地積六二八平方メートル、以下「本件公示地」という。)を規準とした価格

本件公示地を規準とした価格は、時点修正による減価を二五パーセントと評定して、一平方メートル当たり一〇八〇万円と求められた。

(六) 鑑定評価額の決定

本件公示地を規準とした価格は比準価格を上回って求められたが、地価変動時における公的価格の硬直性を考慮するならば、この程度の乖離は概ね許容範囲にあるものといえる。そこで、比準価格に七割、収益価格に三割のウェイト付けを行い、本件宅地の鑑定評価額を一平方メートル当たり八三三万三〇〇〇円、総額三八億五一五九万六〇〇〇円と決定した。

6  被告が財団法人日本不動産研究所に依頼して行った不動産鑑定評価(以下「被告鑑定」という。)の概要被告鑑定の概要は、以下のとおりである。(乙一号証)

(一) 鑑定評価の条件及び価格時点

原告鑑定と同様

(二) 近隣地域(千代田区二番町三から五番、9・11・12・14街区のうち日本テレビ通り沿いで公法上の規制が同一の地域)の状況等

中層及び高層の店舗事務所ビルを中心に放送局・戸建住宅・共同住宅等が介在する地域であるが、いわゆるバブル崩壊後は急速に地価及び賃料が下落しており、今後もしばらくはこの傾向を維持すると予測される。

公法上の規制については概ね原告鑑定と同様であるが、建ぺい率は耐火建築物については制限がない。また、平成四年九月一日に施行された「東京都千代田区住宅付置制度要綱」により、敷地面積が五〇〇平方メートル以上の建築物、延べ面積が三〇〇〇平方メートル以上の建築物の建設に際しては、原則として敷地面積の五〇パーセント以上の面積を付置住宅として供しなければならないという規制があるが、本件宅地は五〇〇平方メートル未満であるため、右規制を受けない。

なお、本件宅地に係る土地使用については、高層店舗事務所地が最有効使用と考えられる。

(三) 取引事例比較法の適用

近隣地域の標準的規模・使用は、規模六〇〇平方メートル程度で住宅付置義務のある高層店舗事務所地であると認められるところ、その標準価格は、時点修正による減価を一五パーセントと評定して公示価格を規準とした価格(一平方メートル当たり一二二〇万円)との均衡に留意した上で各取引価格に標準化補正を加えた比準価格(一平方メートル当たり一二五〇万円から一三六〇万円)を比較検討し、一三〇〇万円と査定した。

そして、右によって求められた標準価格に本件宅地の個別的要因に基づく格差修正率を乗じた結果、本件宅地の比準価格は一平方メートル当たり一三三〇万円(総額六一億五〇〇〇万円)と求められた。

(四) 収益還元法の適用

収益価格は一平方メートル当たり八九八万円(総額四一億五〇〇〇万円)と求められた。

(五) 鑑定評価額の決定

比準価格と収益価格とでは開差が生じているところ、バブル崩壊後は地価は収益価格に向かって大幅に下落してきていたものの、本件相続開始時はその初期段階にあったことを考慮の上、比準価格を重視して、本件宅地の鑑定評価額を総額五六億五〇〇〇万円(一平方メートル当たり一二二二万三八八〇円)と決定した。

三  争点

本件の争点は、本件更正が認定した本件宅地の更地としての価額四八億四七九四万二四六一円(一平方メートル当たり一〇四八万八六一四円、以下「本件価額」という。)の適否であり、これに関する当事者双方の主張の要旨は、以下のとおりである。

1  被告の主張

相続税法(以下「法」という。)二二条にいう時価とは、相続開始時における当該財産の客観的交換価値をいうものと解されるが、右にいう客観的交換価値は必ずしも一義的に確定されるものではないことから、課税実務上は、法に特別な定めがあるものを除き、路線価方式により画一的に相続財産を評価することとされている。これは、相続財産の客観的な交換価格を個別的に評価する方法では、その評価方式、基礎資料の選択の仕方等により異なった評価価額が生じることが避け難く、また、課税庁の事務負担が重くなり、回帰的かつ大量に発生する課税事務の迅速な処理が困難となるおそれがあること等からして、あらかじめ定められた評価方式によりこれを画一的に評価する方が、納税者間の公平、納税者の便宜、徴税費用の節減という見地からみて合理的だからである。そして、路線価方式は、時価の評価方法として妥当性を有するものである。

また、路線価の設定に当たっては、売買実例価額、公示価格、精通者意見価格等を基に国税局長がその路線ごとに評定しているところであり、右価額は、評価の安全性の面等を考慮して、時価を上回ることのないよう配慮されているところである。

よって、路線価方式によらないことが正当として是認され得るような特別の事情、すなわち、路線価方式によって評価した本件価額が、本件相続開始日における本件宅地の時価を上回っているというような特別の事情がある場合を除き、本件宅地についても、路線価方式に従って評価することが相当である。

そこで、右のような特別の事情の有無について検討するに、被告鑑定による本件宅地の更地としての評価額は五六億五〇〇〇万円(一平方メートル当たり一二二二万三八八〇円)となっており、これは本件価額を上回っている。また、別紙のとおり、本件宅地の面する道路を挟んだ向かい側に本件公示地が設置されているところ、本件公示地に係る平成五年一月一日現在の公示価格である一平方メートル当たり一一五〇万円に、本件公示地に係る地価変動指数を適用して本件相続開始日における本件公示地の一平方メートル当たりの価格を計算すると、別表6のとおり一一九八万三〇〇〇円となり、この金額を基に評価通達に定める価格補正及び容積率補正を行うと、別表7のとおり五〇億四二七八万五九八二円となるが、この価額は、本件価額を上回っている。したがって、本件宅地の評価につき、路線価及び評価基準等によらないことが正当と認められるような特別の事情は認められない。

なお、原告は、本件宅地の更地としての時価につき、原告鑑定によって求められた評価額を基に、一平方メートル当たり八三三万三〇〇〇円である旨主張する。しかし、原告鑑定は、〈1〉地価公示法八条の規定があるにもかかわらず、本件公示地に係る公示価格を基準としていない点、〈2〉平成三年一〇月から平成四年一〇月までの各月の時点修正率を毎月二・五パーセントのマイナスとしているとしているところ、右数値は、本件公示地及び東京都地価動向調査に基づく地価下落率の推移と比較して著しい乖離がある点、〈3〉比準価格を算定する際の取引事例地Bの面積(六二・二四平方メートル)が本件宅地の面積に比して著しく狭いにもかかわらず標準化補正をしていない点、〈4〉本件宅地の所在する近隣地域に係る公法上の規制等について、建ぺい率の内容の把握や東京都千代田区住宅付置制度要綱に基づく住宅付置義務についての認識が不十分であることがうかがえる点等からみて、法二二条に規定する時価の合理的な評価方法とはいえない。

以上によれば、本件価額が本件宅地の更地としての時価を上回らないことは明らかである。

2  原告の主張

法二二条にいう時価とは、不特定多数の当事者間における自由な競争取引の場合、通常成立すると認められる価格であって、具体的には納税者が市場へ売りに出した場合の売却可能上限額であると解されるところ、相続が発生し相続税納付のため相続土地を換金する必要に迫られた相続人は、一般的には不動産仲介業者にその売却を依頼することになるが、昨今のように地価が急激に下落している環境下にあっては、相続税の申告と同時にその納付をしなければならない相続人は買主に対して極めて弱い立場に立たされることになる。よって、右にいう時価を求める場合でも、かかる売主と買主の力関係を直接反映した実勢価格の方が、不動産鑑定評価基準に定める正常価格よりも適切というべきである。

また、都心商業地においては、いわゆるバブル崩壊後、実勢価格の下落に路線価の改定が追いつかない状況(逆転現象)となっているから、本件宅地を路線価方式によって評価して課税することは、実勢価格以上の架空の価値に対して課税することであって、応能負担の原則を著しく逸脱し、憲法二九条に違反する。現に、逆転現象が起こっている地域では、不動産鑑定士の鑑定評価額に基づく申告は広く一般的に行われており、通常はその申告が是認されているのである。そして、原告も、資格ある不動産鑑定士の手による原告鑑定に基づいて本件宅地の価額を算定して申告を行ったのであるから、これを覆して路線価方式に基づいて本件宅地の価額を算定することは許されない。

もっとも、被告は、〈1〉公示価格を基準としていない点、〈2〉時点修正率を過大に見積もっている点、〈3〉公法上の規制を看過している点で原告鑑定は信用できないと主張する。しかし、〈1〉については、(1)公示価格は、その価格時点が一月一日であるのに対し発表が三月二〇日ころのため、時間差が生じてしまうこと、(2)法二二条にいう時価である実勢価格は上げ相場の時には強気に、下げ相場の時には弱気に反応するのに対し、公示価格は相場にかかわらず中庸的に鑑定するから双方に開差が生じること、(3)公示価格の変動率は実勢価格のそれに比して反応が鈍いこと等に照らせば問題とはいえない。また、〈2〉についても、公示価格の変動率と実勢価格の変動率とでは求め方が異なるし、千代田5-19の基準地(東京都千代田区神田司町二丁目七番六号)における地価動向調査の変動率と実勢価格の変動率を例にとれば、実勢価格の変動率は平成三年一〇月から平成四年一〇月までで三六パーセントのマイナスとなっていること等からみて、原告鑑定の採用した時点修正率が過大であるとはいえない。さらに、〈3〉についてみても、建築基準法上は耐火建築物について建ぺい率の制限がなくても、民法二三四条の規定によって実際の建ぺい率は八五パーセント程度になること等からみて、原告鑑定の信用性に疑問を生じさせる点ではない。

これに対し、被告鑑定は、収益還元法に基づく収益価格の算定につき、その支払賃料(一平方メートル当たり一万円)の基準時を本件相続時としているが、本件宅地において被告鑑定が想定したような賃貸用の鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根店舗・事務所・駐車場を建設するものとした場合、本件相続時に本件宅地が更地であったと仮定しても、建設工事等に日数を要することからみて支払賃料の基準時は平成六年七月ころとすべきであり、右時点における支払賃料としては平成六年七月ころのもの(一平方メートル当たり八〇〇〇円)が妥当である。また、被告鑑定が取引事例比較法に基づく比準価格の算定につき採用した四個の取引事例は、〈1〉売買契約と同時に買主が売主に建物を賃貸し、事実上の賃料保証がされるなど、買主と売主との間で継続的な取引関係が発生しているもの(九段南三丁目の事例)、〈2〉隣地買収(麹町二丁目及び二番町の各事例)、〈3〉巨額の債務を負っていた買主に代わり、融資していた銀行団が売主との間で売買をまとめた特殊な取引(平河町二丁目の事例)であって、いずれも法にいう時価を算定する上で採用することが不適切な事例である。したがって、被告鑑定には信用性がない。

以上によれば、本件価額が本件宅地の更地としての「時価」を上回ることは明らかである。

第三当裁判所の判断

一  法二二条にいう「時価」の意義

法は、相続税の課税価格は相続によって取得した財産の価額の合計額であるとし(一一条の二第一項)、相続によって取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価によるとしている(二二条)。そして、右にいう「取得の時」とは、具体的には被相続人の死亡の日をいい、「時価」とは、客観的な交換価値、すなわち不特定多数の独立当事者間の自由な取引において通常成立すると認められる価額をいうものと解される。したがって、相続による財産の取得後にその価値が低下したとしても、課税価格に算入されるべき価額は相続時における当該財産の時価と解すべきである。また、地価公示法は、適正な地価の形成に寄与することを目的として、標準地を選定し、その正常な価格を公示するものとし(一条)、「正常な価格」とは、土地について、自由な取引が行われるとした場合におけるその取引において通常成立すると認められる価格をいうと規定しているから(二条二項)、法二二条の「時価」と地価公示法の「正常な価格」とは、本来は同一の価格を指向する概念ということができる。

これに対し、原告は、法にいう「時価」とは実勢価格すなわち不特定多数の当事者間で自由な競争取引が行われるとした場合に通常成立すると認められる価格をいい、一方地価公示法にいう「正常な価格」とは、特定当事者間の相対取引をも含め、一般の土地取引における相場を示すものであるから、両者は全く異なる旨主張する。しかし、原告のいう「時価」の定義は、合理的な市場において売り進み、買い進みのない場合に成立する価格といい換えることも可能であると解されるところ、これは結局当裁判所が先に説示した「時価」の定義と同義であり、「正常な価格」と同一の価格を指向する概念にほかならない。したがって、地価公示価格を「時価」の算定に当たって参考にすることは何ら差し支えなく、このことは、地価公示法八条の趣旨にも沿うものというべきである。

また、原告は、相続人は相続税の納付の必要から相続財産の売却の必要に迫られ、買主に対して極めて弱い立場に立つから、その点を「時価」の算定について考慮すべきである旨主張するが、既に説示したとおり、法は「時価」の基準日を「取得の時」としており、その後に相続財産を実際に売却する際の価格の動向によっては「時価」は影響されないものと解されるし、相続人が相続財産を売却するかどうか、売却するとしていかなる時期にいかなる状況の下で売却するかは事案によって千差万別であって、租税法律主義の見地から厳格に解釈されるべき「時価」の概念にそのような不確定要素を持ち込むことはおよそ相当とはいえないから、原告の右主張は採用することができない。

なお、原告は、「時価」の算定は、売主が宅地建物取引業者に土地の売却を依頼し、業者が広告等により広く買主を募ったような事例のみに基づかなければならない旨主張する。確かに、原告の主張するような事例であれば「時価」の適切な算定に資すると一般的にはいうことができるが、相対取引等であっても、当該取引に特殊な価格形成要因による影響を修正することによって、これを「時価」の算定に当たって斟酌することができるのは当然であるから、原告の右主張もまた採用することができない。

二  本件価額の適否について

1  既に摘示したように、本件価額は路線価方式に基づいて算定されたものであるが、原告は、原告鑑定に基づいて、本件価額は「時価」を上回ると主張し、他方、被告は、被告鑑定に基づいて、本件価額は「時価」を上回らないと主張するので、両鑑定のいずれが本件宅地の価格をより適切に反映しているものといえるかについて以下検討する。

2  被告鑑定について

原告は、被告鑑定による収益価格は、基準時を本件相続時とする点で失当である旨主張する。しかし、既に説示したように、法にいう「時価」の算定基準時は本件相続時であるから、支払賃料の基準時も本件相続時となるべきであるし、乙一号証によれば、収益価格は、不動産の収益性の観点から評価対象不動産の経済価値を把握したもので、当該不動産が将来生み出すであろうと期待される純収益の現価の総和に着目して求められたものであり、投資採算性を反映した価格であることが認められるから、支払賃料についても投資時点、すなわち価格時点(本件では平成四年一〇月三〇日)の価格を基準とするのが合理的であると解される。現に、甲三号証によれば、原告鑑定も、収益価格を求める際、収益に対応する期間として平成四年七月一日から平成五年六月三一日までを想定した上、このころの支払賃料を基準にして計算していることが認められるところである。

そして、甲七一号証によれば、麹町・番町周辺における平成六年ころの賃料(募集価格)の平均は、本件宅地上に建築できるものとほぼ同規模と認められる階層当たりの面積が一〇〇坪以上二〇〇坪未満の建物で坪当たり約三万円となっていること、甲七〇号証によれば、千代田区の募集表示賃料は、平成四年七月ころで坪当たり約二万九〇〇〇円、平成六年一月ころで同約二万二〇〇〇円で推移していることがそれぞれ認められるから、被告鑑定の採用した支払賃料の水準(事務所については一平方メートル当たり一万円)は、本件相続時における麹町・番町周辺における価格としてはほぼ適正なものであったと推認することができる。

また、原告は、比準価格の算定につき被告鑑定が採用した事例がいずれも適切ではないとも主張する。確かに、甲二〇ないし二五号証によれば、被告鑑定が採用した事例のうち麹町二丁目の土地については、隣地買収の事例であることが認められるところ、乙一号証によれば、被告鑑定がその取引事情を単に「正常」としていることが認められるから、右事例から比準した価格は必ずしも適切とはいえないおそれがある。しかし、乙一号証によれば、右比準価格は全比準価格の中で最も低額であることからみて、これによって被告鑑定の採用した比準価格が不当に高額に査定されたものと認めるには足りない。また、原告が同じく隣地買収であるとする二番町の土地、及び特殊な取引であるとする平河町二丁目の土地については、被告鑑定もそれぞれの取引事情にかんがみて前者につき一〇パーセント(隣地買収)、後者につき二〇パーセント(買進み)の補正を行っているし、本件全証拠によっても、右補正率が過少であると認めるには足りない。さらに、原告が買主と売主との間で事実上の賃料保証をした事例であるとする九段南三丁目の土地については、買主(賃貸主)が売主(転貸主)から正常価格を超える多額の賃料を収受している等の事情を認めるに足りる証拠はないから、賃料保証の事実が売買価格に影響を与えたおそれがあるとする原告の主張も単なる推測にすぎないものというほかないし、右事例に基づく比準価格についても、他の事例に基づく比準価格に比して特に高額であるとは認められない。したがって、被告鑑定の採用した取引事例が適切ではないため、その比準価格が不当に高額となっているとの原告の主張は、いずれも採用することができない。

また、原告は、被告鑑定を行った財団法人日本不動産研究所の理事長が大蔵省関係者であることも問題にするが、そのことのみをもって被告鑑定の内容面での信用性が揺らぐものと解することはできないし、原告が被告鑑定の内容面につき信用性がないとする主張に理由がないことは既に説示したとおりである。

以上のように、被告鑑定の信用性につき原告が疑問であるとして主張する諸点は、いずれもその鑑定価格の信用性を排斥するに足るものということはできない。

なお、甲四号証によれば、原告が平成五年七月ころに三菱信託銀行株式会社を通じて本件宅地の売却を五社に打診した結果は、住友不動産が坪当たり二〇〇〇万円以下なら取得の検討が可能であるとしたほか、他社からは買収を断られたことが認められるが、右価格はもとより不動産鑑定と同視できる信頼性があるということはできないし、いわば潜在的買主の買収希望価格にすぎないから、これをもって被告鑑定の信用性を覆すには足りない。

3  原告鑑定について

被告は、原告鑑定に信用性が乏しいとして種々主張する。このうち、甲三号証によれば、被告の主張のとおり、原告鑑定は、比準価格を算定する際の取引事例地Bにつき面積が狭小であることに基づく標準化補正を行っていないこと、取引事例地Bに基づく比準試算価格は、原告鑑定の採用する比準試算価格中で最も安価であることが認められるし、同じく甲三号証によれば、原告鑑定は、時点修正率につき地価公示価格及び都基準地価格の地価変動率や近隣及び周辺類似地域の地価水準の動向を勘案したとしながら、原告鑑定が指摘する周辺都基準地価格の過去一年間の下落率(一七ないし一八パーセント)及び公知の事実である地価公示価格の下落率(東京都千代田区の商業地の場合、平成四年一月一日から平成五年一月一日で約二〇パーセント)を大幅に上回る月間マイナス二・五パーセント、年間マイナス三〇パーセントとし、その具体的根拠を特段示してはいないことがそれぞれ認められる。よって、被告の主張するように、標準化補正の欠如及び時点修正率の差異が原告鑑定の比準価格の正確性に影響を与えた可能性は否定できない。

また、甲三号証によれば、原告鑑定は、収益価格算定に当たり、採用した収益事例(延べ床面積七四七・二二平方メートル、鉄骨鉄筋コンクリート造地下二階付五階建店舗・事務所)の適正な支払賃料の水準として基準階で概ね一平方メートル当たり五五〇〇円から五七〇〇円として事情補正を行っていることが認められるが、甲七〇及び七一号証によれば、右収益価格は低額にすぎることがうかがわれるところである。

したがって、原告鑑定が算定した本件宅地の更地としての価額については、その妥当性につき疑問があるといわざるを得ない。

4  本件価額についての判断

以上によれば、両鑑定を比較する限り、被告鑑定の信用性が優るということができる。もっとも、地価公示価格の変動率は、本件相続時のようないわゆるバブル崩壊後の急激な地価の下落局面においては、市場価格よりも遅れて変動する傾向にあったことは公知の事実といってよいところ、第二の二6(三)で既に摘示したように、被告鑑定に基づく本件宅地の更地としての価格は、地価公示価格を基にして算出した価格を僅かに上回っているのであるから、客観的交換価値を超えている可能性を完全には否定できないところである。しかし、既に説示したとおり、本件価額が、被告鑑定の価額を一割以上下回っている点、二五パーセントの時点修正を施した原告鑑定における公示価格規準額及び本件公示地における平成五年一月一日の公示価格をもそれぞれ下回っている点を勘案すれば、少なくとも本件価額については客観的交換価値を下回っているものと認められ、本件全証拠によってもこれを覆すには足りない。

5  本件宅地に係る課税価格の適否

第二の二2で既に摘示したとおり、本件宅地は本件相続時においては貸家建付地であったところ、弁論の全趣旨によれば、路線価方式はかかる土地につき、本件宅地上の家屋の利用区分によって本件宅地の利用区分割合を求め、家屋のうち居住用部分については自用地として、貸事務所部分については貸家建付地として算定することを定めていること、原告が提出した平成六年一月三一日付け更正請求書中の本件宅地の利用区分割合及び貸家建付地としての控除割合は別表3の2と同様であったことがそれぞれ認められるし、租税特別措置法六九条の三に基づく小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例に係る別表4記載の計算過程にも誤りがないから、これらの事実と弁論の全趣旨とを総合すれば、本件宅地に係る課税価格の算出過程には路線価方式に背馳する点はなく、また、その結果算出された課税価格に「時価」を上回る違法があると認めるに足る証拠もない。

したがって、本件宅地の課税価格は別表2の符号〈1〉記載の額を上回らないものということができる。

6  本件処分の適法性

以上認定した事実及び第二の二1で既に摘示した事実を総合すれば、原告らに対する課税価格の総額は別表2の符号〈13〉記載のとおりとなる。そして、本件更正に係る相続税額の算出についても、別表5の計算過程に誤りは認められないから、本件更正は適法なものというべきである。

加えて、本件決定についてみても、以上認定した事実及び弁論の全趣旨によれば、その計算過程には誤りがないものと認められるから、適法なものというべきである。

なお、今般のような地価の急激な下落局面において土地の相続があった場合、土地は証券等のような流動性がないそれぞれ個性を有する資産であって、相続時点において直ちに換価できるものではないから、当該土地以外に納税の原資となるものがないときは、売却によって現実化した資産価値が法の通常予定する担税力に見合わないといった事態が生じ得ることは原告の指摘するとおりである。しかし、これは土地の価格が高いとされる我が国の実情の下で土地価格の大きな変動が生じた場合に租税政策上問題があることを示唆するものではあるが、本件価額をもって本件相続時における時価と認めることができる本件事案において憲法八四条の違反を問う余地はなく、また、租税特別措置法六九条の三等の課税価格軽減規定が存することも考慮すれば、法に基づく本件処分が憲法二九条に違反するとは到底いうことができない。

三  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。なお、原告が行った平成八年(行ク)第五二号の文書提出命令の申立てについても、その必要性がないことに帰するので併せて却下することとする。

(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 竹野下喜彦 裁判官 岡田幸人)

別紙

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別表1 本件課税処分等の経緯

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別表2 課税価格等の計算明細表

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別表3の1 本件宅地の自用地としての価額

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別表3の1 本件宅地の自用地としての価額

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別表4 小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例

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別表5 税額算出表

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別表6 本件宅地の価額

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別表7 公示価格を基とした本件宅地の相続開始日の自用地としての価額

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